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Craole 『蔵織』 くらおり
〒951-8062 新潟市中央区西堀前通1番町700番地
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― 自 由 絵 の 楽 し さ ―
『没後3年・宮迫千鶴絵画展』 2011年9月8日(木)~9月27日(火) 広島県呉市生まれ(1947年)県立広島女子大学卒業の宮迫千鶴は、絵画をはじめ評論、エッセイなど多彩な分野で活躍し、一時、「団塊世代」の女性たちのオピニオンリーダーとして知られ、1988年に画家・谷川晃一と伊豆高原(静岡県)へ移住、豊かな自然環境のもとで精力的に文筆・絵画創作活動をやっていたが、2008年6月19日、リンパ腫のため死去した。 地元の交流の中から『伊豆高原アートフェスティバル』を谷川晃一と提唱し、現在19年目と引き継がれている。 両親の離婚で、父親に育てられ、カトリック系の学校をでている。自身の内面を綴ったエッセイ集『超少女へ』(1984年)で注目され、上野千鶴子との対談本などや、多くの女性論などのエッセイを刊行した。父の死を経験したのち、心身ともに体調を崩した。その後、スピリチュアルへの関心が一挙に高まり『魂を大切にする生活』に深く身を置くようになったが、50代後半の死は惜しまれる。 1972年東京から戻った私(蔵織店主)は『谷川晃一展』を新潟大和アートサロンで開催した、そのときが宮迫千鶴との最初の出会いだった。まだお互いが20代のときである。 なんだか『カサ カサ』している女性だなぁ~という印象だった。 カサカサとは『傘 傘』ではなく『しっとり』の反対の意味である。それは『超少女へ』の中で語った、『非少女』そのものだったのかも知れない。 (冗談で傘と書いたが、黒っぽい服を着て痩せた20代の彼女はこうもり傘に似ていなくもなかった。のちに、彼女はその『カサカサ』をもっと豊かなものにするために森の魔女的なものに光を当ててゆく) 『少女』は両親と社会の中で女性性を学び、思春期の自らの肉体的変化に驚き、それを受け入れて女性原理を体得してゆくが、男性原理しか学習・体現できなかった少女(宮迫自身)を『非少女』といい、それをもう一度ひっくり返した萩尾望都の『少女』は 『性を持たない少年』としてえがかれていると『超少女へ』で書きしるした。 社会に出た『非少女』(宮迫)は自分の感覚は正常で、社会や学校の感覚がおかしいと訴えても、徒労に終わり、そのはざまで苦悩した。持ち前の男性原理で何とか社会に抵抗している時に私とであったのであろう。父親譲りの男性原理をまとった『非少女』を目の前にして、私の受けた『カサカサ』感はあながち間違ってはいなかった。そうはいっても、離婚などはしなかった両親に育てられた20代の私(少年)は『カサカサ』感の対極である女性の『ウエット』感の真髄などわかるはずもなかった。 『超カサカサ』の大都会東京のど真ん中のくぼみの中で、『カサカサ』の少女はベーゴマのように跳ね飛ばされながら、その矛盾をペンで、自身の内面を自由絵で表現し善戦していたが、1988年、突然伊豆高原(自然)へ生活を移した。以後、父の死で受けた自身の身体的不調を抱えたまま、恐山のイタコ(女性)に共鳴し、アイヌの太婆との邂逅では、その根源的母性に嗚咽した。ようやく父の喪失をのり越え、大きな存在の懐に触れる旅にエネルギーを使い、多くの著作と自由で開放された絵を遺した。 南庭工房 『伊豆高原アートフェスティバル』
by craole
| 2011-08-06 19:52
| 蔵織展示のこと
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