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Craole 『蔵織』 くらおり
〒951-8062 新潟市中央区西堀前通1番町700番地
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私的なことでは東日本大震災の影響でいろいろなことがありましたが、『蔵織』は無事で、展示会やイベントを開催しております。
やはり、47年前(1964年6月16日)の新潟地震のことを思い出してしまいます。 47年前の新潟地震は大きな地震でしたが、地震で直接亡くなった方は26人でした。1.2mの津波が信濃川を逆流し、そのまま海抜0m地帯に流れ込みました。液状化現象も日本で始めて話題となりました。新潟の臨海工場地帯の石油タンクが爆発炎上し,大きなキノコ雲が立ち上がっていたのが象徴的でした。 新潟の人々は大地震に驚き、大変でしたが、それでも、その震災を受け入れ、再興に向けて何かアッケラカンとした雰囲気がありました。 今回の東日本大震災は500Kmの海底断層と数十メートルの津波をともなっており、はるかに大規模な震災です。それに伴って原発の人災が加わり、直接の被害にあわなかった多くの人の心の中にも共感的不安と直接的にやってくる見えないものへの漠然とした恐れが徐々に沈殿してきています。今朝の話では、原発事故はレベル7に繰り上がり、再臨界の噂もあります。私たちを信用していない者たちの言葉を信用しろと言われても、まぶたを閉じるだけです。 47年後の今、この東日本大震災をどう受け止めればよいのか言葉を見つけることができません。 いったい、この47年間で私たちは何を身に付けてきてしまったのでしょうか。今回の震災にあわなかった私たちは、何とか自分なりの誠実な言葉を見つけなければなりませんし、また何か描き続けなければ平衡を保てません。 47年前の地震の写真の中に忘れてきたものがあるかもしれません。原子力発電所が無かった47年前の写真の中の人々は地震での驚きの中でも何か生き生きとしています。 また、当時のスケッチブック(十代)に描き残したものの中に47年前に何か落としてきたものがあるかも知れません。(恥ずかしながら) 写真は47年前(1964年)のもの 新潟地震で初めて注目された液状化現象。 1964年のスケッチブック、サイズは全てB4ほど (このまま47年間引きずっているようだ。) (ちょうど奥の箪笥を開けたらスケッチブックが出てきたが、恥ずかしながら、十代の自分はガンバッテ何か描きなぐっていたのだな~と思った。 あれから47年がたった。何も気づかないうちに自ら付け加えた贅肉のように、余計なものがどんどん付加されてきたのだろう。47年前に忘れて置いてきたのではなく、社会から付加され、あるいは自ら幾重にもまとってきたものの真ん中あたりに、それはあるのだろう。 今回の事故も、贅肉の重みに耐えられず脊椎損傷を起こした人間(自分)に似ている、金融バブルが崩壊し、原発(エネルギー)バブルが崩壊した。 大げさだが、東日本大震災をどう受け止めればよいのか迷っていた。 47年前のどこか外に置き忘れてきたのではなく、幾重にもまとってきたものをかき分け、手を突っ込み、そこで触れたものを愛でることからはじめなければならないのであろう。 そこで触れたものとはなんといえばよいのだろう。それぞれみな違うものだろうが、 それは脆弱であるが不安と希望を体現し、すっくと立っていたもの とでもいうものだろうか。 ここのところがないと絆(きずな)は結べない。衣をまとった絆は絆バブルを生んでしまう。 絶望の渦中でも「助けられる人たち」は決して無力ではない、と誰かが言った。 レスキューファンタジーの快感に陥ることなく、渦中にいないものの仕事は幾重にもまとってきた衣の奥にあったものを愛でて、そこから、身近なできることをやってゆくだけだ。 47年前(1964年)の新潟地震の写真①(侘び・寂び・萌え・切れ) 地震による液状化現象は47年前(1964年)の新潟地震で初めて注目されました。 『手押しポンプ』の復活・普及へ、福島原発放射能漏れとこれからの低エネルギー社会
by craole
| 2011-04-12 14:36
| 新潟のこと
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